
なぜトルコの人は日本人に親切なのか
「兄弟だ」と言われます
トルコを旅していると、日本人だとわかった瞬間に相手の態度が変わることがあります。店主が値段を下げる、道を尋ねただけの人が目的地まで一緒に歩いてくれる、そして「日本人?兄弟だ」と言われる。
社交辞令ではありません。理由があり、その理由はトルコの学校で教えられています。日本ではほとんど知られていないので、ここに書いておきます。
1890年9月16日、和歌山県串本沖
オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が、親善使節として日本を訪れた帰り道、台風に遭いました。紀伊大島の沖で岩礁に乗り上げ、船は砕けて沈みます。
助かったのは69人でした。乗員の大半が亡くなっています。
この69人を海から引き上げたのが、樫野埼の灯台守と、大島の村人たちでした。当時の大島は決して豊かな村ではありません。それでも住民は、自分たちの食料と着るものを出して、言葉の通じない遭難者を助けました。
生存者は、明治天皇の命により軍艦比叡と金剛でイスタンブールまで送り届けられました。
この出来事は、トルコの教科書に載っています。だから多くのトルコ人が、子どものころからこの話を知っています。日本人が知らないことのほうが、彼らには意外なのです。
1985年3月、テヘラン
そして95年後の話です。
イラン・イラク戦争のさなか、イラン上空を飛ぶ航空機を無差別に攻撃するという通告が出されました。各国が自国民を救出するなか、テヘランには取り残された日本人がいました。
このとき救援機を出したのがトルコ航空でした。日本人はその便でイランを離れています。
トルコの人たちはこの出来事を、エルトゥールル号の恩返しとして語ります。公式にそう記録されているというより、そう語り継がれている、という言い方が正確です。
2015年には、この二つの出来事を結んだ日本・トルコ合作の映画『海難1890』が公開されました。
串本には、いまも慰霊碑があります
紀伊大島の樫野埼には、エルトゥールル号の遭難者を弔う慰霊碑とトルコ記念館があります。トルコの要人が来日した際に訪れる場所でもあります。
つまりこの関係は、遠い昔話として終わっていません。両国で、いまも手入れされ続けている記憶です。
ただし、これは免罪符ではありません
最後に、正直なことを書きます。
この歴史は本物ですし、あなたが受ける親切もほとんどは本物です。それでも、日本人だからという理由で料金の手口に遭わなくなるわけではありません。
親しげに話しかけてきて「特別な店」に誘う相手は、相手が日本人でもドイツ人でも同じことをします。メーターを入れないタクシーも同じです。「兄弟だ」と言われたあとにこそ、断りにくくなるという面すらあります。
歴史に敬意を払うことと、手口を知っておくことは矛盾しません。両方持っていってください。
よくある質問
なぜトルコ人は日本人に親切なのですか?
1890年、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本沖で沈没し、69人が地元の灯台守と村人に救助されました。この出来事はトルコの教科書に載っており、多くのトルコ人が子どものころから知っています。1985年のテヘランで日本人が救出された際にトルコ航空が救援機を出したことも、その恩返しとして語り継がれています。
エルトゥールル号事件とは何ですか?
1890年9月16日、親善使節として日本を訪れたオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が、帰路の台風で紀伊大島沖の岩礁に乗り上げて沈没した事故です。乗員の大半が亡くなり、69人が救助されました。生存者は明治天皇の命により軍艦比叡と金剛でイスタンブールへ送り届けられました。
1985年のテヘランの話とは何ですか?
イラン・イラク戦争のさなか、イラン上空の航空機を攻撃するという通告が出され、テヘランに日本人が取り残されました。このときトルコ航空が救援機を出し、日本人はその便でイランを離れています。トルコではこれがエルトゥールル号の恩返しとして語られています。
串本のトルコ記念館は訪問できますか?
和歌山県串本町の紀伊大島・樫野埼に、エルトゥールル号の慰霊碑とトルコ記念館があります。トルコの要人が来日した際に訪れる場所でもあり、日本国内でこの歴史に触れられる場所です。
日本人だと詐欺に遭いにくいのですか?
そういうことはありません。親切は本物ですが、料金の手口は相手の国籍を選びません。「特別な店」への誘いも、メーターを入れないタクシーも、日本人相手でも同じように起こります。むしろ親しげにされたあとのほうが断りにくくなる面があります。歴史への敬意と、手口を知っておくことは両立します。

